首里城の屋根瓦

しまんちゅ工房あらかき

2024年10月17日 08:43

はいさい!

しまんちゅ工房のあらかきです。


毎週木曜日はシーサー研究室から書いていますが、
これまで朝鮮半島編を書いてきました。


世界に点在する獅子像文化(大韓民国編)ジャプサン(잡상)


「朝鮮半島の失われた儀式『サジャサン』とは?〜獅子像を伴う供養の神秘」



世界に点在する獅子像文化「朝鮮半島編」 写真と絵


世界に点在する獅子像文化「朝鮮半島編」その壱



今も調べている所ですが、

これまで中国からかなりの影響を受けて琉球は発展してきたのかと考えていたのですが
いやいや

朝鮮半島の文化もかなりの影響を受けている事が分かってきました。

たしかに

中国も近いのですが
九州に至っては朝鮮半島は目の前です。

対馬はその玄関先として時代の交差点のような役割を今も持っているように思います。


さて

前回もその朝鮮半島で生まれた屋根を彩る沢山の種類の像たちジャプサン(잡상)をご紹介致しました。

下の写真は、韓国ソウルの景福宮を護る屋根瓦とジャプサン(잡상)たちなのですが、





写真の灰いろの瓦


この瓦は朝鮮瓦と呼ばれるものですが、
その時代よりももっと遠くの時代

高麗の時代に焼かれた同じような灰いろの瓦

「高麗瓦」


これが首里城の屋根を護っていた?と言われると驚きませんか?


歴史にかなり詳しい方はご存知だと思うのですが、

実は
首里城の屋根瓦、最初のころは高麗瓦や明瓦だったと言われています。
それは発掘調査でも明らかになっているので間違いないと思います。


https://www.pref.okinawa.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/019/776/1988_03_web.pdf


しかし
なぜ
首里城の屋根は真っ赤になっていたのか?


という事で!


チャットGPTと一緒に小説風にしてみたので読んで頂けたら嬉しいです(^^)




その夜、首里城の正殿の奥深く、尚巴志は彼の故郷である佐敷から来た陶工と風水師を前にしていた。

久しぶりに佐敷の風を感じた王はいつにもなく上機嫌で彼等を荘厳なる玉座がある正殿奥深くまで招き入れたのだ。

王は、彼らが持参した一枚の新しい赤瓦をじっと見つめ、指先でその表面を静かに撫でていた。

これまで首里城を守ってきた灰色の高麗瓦は、琉球王国にとって大陸との結びつきを象徴するものであり、
また高温で焼き締められた強固な瓦だった。しかし、風土の厳しさを肌で感じてきた王は、その瓦の限界を知っていた。

風水師が口を開いた。

「王よ、この大里に広がるクチャが新たな瓦の鍵となるでしょう。高麗瓦は確かに強靭ですが、沖縄の大地にある土では、
十分な数を焼くことができません。しかも、このクチャならば、焼成温度を下げても耐えうる瓦を作ることができます。」

王は陶工の方へと視線を向けた。彼は、壺屋焼きの名工であり、様々な土の性質に精通していた。彼もまた、新しい瓦の可能性に賭けていた。

「王様、確かに高麗瓦はその強度が誇らしいですが、瓦の製作には莫大な燃料が必要です。
その点、このクチャで作る赤瓦ならば、燃料の消費を抑えることができます。
それだけでなく、この土は、風に乗って蒸発する微細な水分を含みます。
沖縄の風が吹けば、この瓦は少しずつ水を吸い、そして蒸発させ、屋内を涼しく保つことができるのです。これこそ、我々の風土に適した瓦です。」


尚巴志はその言葉を聞き、深く考え込んだ。
彼は佐敷で生まれ育ち、大里の広大クチャの風景を何度も目にしてきた。

クチャと呼ばれる泥岩がある豊かな土壌は、瓦を大量に作るのに理想的だった。
それまで使用されてきた高麗瓦は耐久性は高かったが、沖縄で採れる高温に耐える土は限られていた。

だが、もしこのクチャを使えば、より低温で焼き上げられ、燃料の節約にもなる。
また、赤瓦は風によって蒸発する水分が気温の調整に役立ち、沖縄の湿潤な気候に最適なものとなる。

風水師はさらに続けた。

「風と水は、建物に命を吹き込むものです。赤瓦は、島尻の大地から得られる自然の恵みです。
それは、琉球の気候に調和し、人々に快適な住まいをもたらすでしょう。」

陶工もまた、目を輝かせた。

「赤瓦は軽く、製作も容易です。これまでの高麗瓦に比べ、瓦の生産量を大幅に増やすことができ、
我が国の城や宮殿、そして民の家にまで広く行き渡るでしょう。王よ、これは琉球にとって新しい時代を切り開く瓦です。」


尚巴志は、その居城から彼が生まれ育った土地がある方向へ目を向け、そこに広がる未来を思い描いた。

この新しい赤瓦は、単に経済的な理由から選ばれたわけではない。風土に根ざした知恵と技術の結晶であり、
それを見極めた風水師と陶工の知見があったからこそ、ここに形を成したのだ。

そして、王は微笑んだ。「これこそが、我々が守り育むべき琉球の未来だ。」

その日から、首里城の屋根には赤瓦が葺かれ始めた。
それは、琉球の風土に根ざした瓦であり、尚巴志のもとに集った人々の知恵と技術、そして島尻の豊かな土が生んだ革新の象徴だった。

風は瓦を冷やし、水は蒸発し、城内はまるで自然と一体となったように涼しさを保ち続けた。

こうして、沖縄の大地に生まれた赤瓦は、歴史と共に語り継がれていくことになる。


・・・。


という感じです笑


歴史的には、尚巴志いこうの王様が赤瓦を開発した可能性があるのですが、

妻が生まれ育った土地の英雄は、僕も大好きなので登場してもらいました。

その時代もちろん、壺屋の陶工もいませんし、

もっと大切なことは

赤瓦はくちゃだけではできなくて北部にある
あっ!

尚巴志は、今帰仁城をおとしたので
北部にしかない良質な赤土の存在はしっていますね(^^)


陶工に「あの真っ赤な土は使えないか?」といったかもしれません・・・。


そしてもっと書くと


僕が書いた時代小説で陶工はこんなセリフを言います。


「赤瓦は軽く、製作も容易です。これまでの高麗瓦に比べ、瓦の生産量を大幅に増やすことができ、
我が国の城や宮殿、そして民の家にまで広く行き渡るでしょう。王よ、これは琉球にとって新しい時代を切り開く瓦です。」


民の家まで・・・。


それは明治まで実現しなかったのですが

きっと王はそれを見ていたとしたら

沖縄をみてどう感じるのでしょうか?


僕は赤瓦を制作する一家で生まれ育ちました。

残念ながら今
僕達は赤瓦こそ制作していませんが

沖縄でモノ作りをしています。

そして
ぜひこれからの沖縄を彩る赤瓦に対して僕は提案したい事があります。

それは漆喰のメンテナンスについて

漆喰はどうしても風化してしまいます。

でも沖縄は珊瑚礁が隆起してできた島なのでしっくりの原料は膨大にある。

現代のテクノロジーを生かして沖縄の気候に適しながらも風化しない漆喰。

夢のような素材が開発できたら面白いなーと思います(^^)


漆喰は天然素材でありながら息をします。

水分は空気を吸って吐き出して湿度調整も出来ますし防臭効果もある

瓦屋根をとめる接着剤よりも
むしろ
室内で使用される方がその効果を大きい

うるしもそうです。


かつては画期的だった素材

それがどんどん安価な材質にとってかわる

資本主義経済では道理ある事なのですが

王が考えた

この島ならではの
この島に適した素材。


この島で育んでいくモノ作り。


今朝はそんな事を考えてみました。

そう考えると

琉球石灰岩で制作された村落獅子は、凄いですね。

あらためてそう思います。

これまで陶器にこだわってきたのですが

琉球石灰岩で制作された獅子。

考え見たいと思いました(^^)

それでは

今朝もお越し頂き、また最後までお付き合いいただきありがとうございました(^^)


ぐぶりーさびら(失礼いたします)










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