予言者のこころ:なぜ“未来”を語るのか?

はいさい!
しまんちゅ工房のあらかきです。
昨日、「地震と予言」についてブログを書きました。
でも…
実はあの記事を書いたあと、自分自身がちょっと不安になったんです。
「本当に地震が来るんじゃないか…?」
「自分で書いたことが、引き寄せたりして…」
そんな風に思って、なんだかザワザワしてくる感覚。
書けば書くほど、不安になっていく。
そして、ふと思ったのです。
「予言者のこころって、どうなっているんだろう?」
未来のことを語る人たちは、
不安に強いのか? それとも繊細なのか?
なぜ、まだ起きていないことを、確信をもって語れるのだろう?
そう考えているうちに、僕の中にある“好奇心”の火がまた灯りました。
という事でサクッとAIとまとめてみました(^^)
第一章:予言者とは、物語を語る人
人が「未来を語る」という行為──
実はとても人間らしい行為なんじゃないかと思います。
なぜなら、僕たち人類は農耕を始めたときから、未来を見つめて生きてきたからです。
いつ雨が降るか?
この畑はどれくらい実るか?
飢饉は来るのか? 干ばつは? 害虫は?
そうした未来を予測し、祈り、備えることが、
人類の暮らしの中心になった。
つまり、「未来を語ること」は
ただの好奇心じゃなくて、生きるための知恵だったんです。
昔の人たちは空を見上げ、風を感じ、動物の動きを観察し、
その中から“意味”を見出して、
「今年は雨が少ないぞ」とか「災いが来そうだ」と語った。
それは占いでもあり、知識でもあり、物語でもあった。
予言者とは、まだ起きていない出来事に、物語のかたちを与える人なんですね。
そして、それを聞いた人々は、安心したり、備えたり、恐れたりしながら、
「今をどう生きるか」を決めていった。
第二章:不安は、人間の進化の証
僕たちが“ネガティブな情報”に強く反応するのも、進化の中で培われた本能です。
昔の人は、生き延びるために──
「毒のある実だよ」
「あの茂みに虎がいたよ」
「川が氾濫しそうだよ」
そんなネガティブな話を、誰よりも早く伝え合ってきました。
つまり、不安な話は命を守る情報だった。
だから今の僕たちも、SNSで「地震が来るらしい」と聞くと、
つい反応してしまう。ついシェアしてしまう。
これは弱さではなく、人間の知恵のひとつのかたちなんです。
でも、そのことを「知っているだけ」で、
不安に振り回されにくくなります。
「ああ、いま僕は本能で反応してるんだな」
そう気づくだけで、安心に少し近づける。
第三章:シーサーは、黙っている
僕達がつくる、お届けするシーサーは、
未来のことは、語りません。
「来年は災いがくるよ」とも、
「地震が来るぞ」とも、言わない。
ただ、そこにいるだけです。
黙って、見守ってくれている。
でも、それがいい。
声がないからこそ、安心することもあるんです。
人は、意味を詰め込みすぎると、かえって混乱することもある。
だけどシーサーは、黙ってそこにいる。
変わらず、黙って、見てくれている。
だからこそ僕は、
不安なときには、シーサーの頭をなでながら、
「まかせたよ〜〜」と声をかけたくなる。
第四章:守り手の物語を語ろう
地震が来る、災いが来る、未来がどうなる──
そんな話が飛び交う今こそ、僕たちが語りたいのは
「今、守ってくれている人たち」の話です。
自衛官や消防士、医療従事者、
地域で働く人たち、家族、母の手、祈る手。
祈る手も、守り手のひとつ。
目には見えなくても、
誰かが、どこかで、
「今日も大丈夫でありますように」と祈っている。
そんな“祈りの物語”を、忘れたくない。
終章:僕の予言
僕が語りたい予言は、とてもシンプルです。
「明日は、誰かが笑ってくれる日です。」
たとえ根拠がなくても、
それを願い、そうなるように今日を生きることが、
きっと“信じる”ということ。
不安は、人間らしさの証です。
でもそれを「物語にして届ける力」も、また人間の才能。
僕は今日も、丹念にシーサーをつくり、また素晴らしい作品を丁寧に取り扱います。
未来に意味を与えるのではなく、
いまを守る形を、手でつくる。
それが、僕にできる祈りです。
終わりに・・・。
さて、あのあと、気になって地震について語る人の動画を見ました。
多分もう見る事はないでしょう。
みれば見るほど不安になったり、安心したり、また不安になったり・・・。
こんなに疲れる動画はありません。
ただエンタメとは思っています。
「エンタメ」だと思って楽しめる分にはいいのですが
それであるなら
僕は「物語」として最高峰の映画を見ます。
「地震」や災害を持ち出して不安にさせたりする事へ
痛烈に批判したくなる自分がいます。
でも批判するエネルギーを僕は自身の行動にかえていきたい。
だれもが安心して自らの道を自信をもって歩いて行けるシーサーを制作したい。
お届けしたい。
そんな想いに変えていこうと思います。
それから家族と「地震」について話したら
こんな提案をもらいました。
「防災グッズ」を点検しよう。
不安になったら備える。
以上!
笑
分かりやすい(^^)
最低限でもいい。行動したら安心します。
物語は、何のためにあるのでしょうか?
どんな物語を採用するのか?
僕はシーサーがいつの日か「守護神」としての役割を終え、平和のシンボルとなり
その本質も忘れられ
シーサーが原型であるライオンにもどっていく世界
つまり
シーサーがいなくなる世界
その為に今日もシーサーを制作してお届けする。
これが僕の本願ですが
それは村落獅子で見出すことが出来ます。
存在さえも忘れかけている
それは幸せな事なんだろうけども
本当に?と僕は感じている部分もあるので
またしまスピから投稿したいと思います。
幸せは探すモノでもなく、追い求めるものでもありません。
きづくもの
それと対照的な事は何かを実現すること
つまり「成功」
これは努力と工夫と情熱が必要です。
幸せと成功についてはこの記事も見てくださいね♪
今日も沢山おしゃべりしました(^^)
それでは
ぐぶりーさびら(失礼致します)