アショーカ王とシーサー:平和への架け橋
はいさいー!
しまんちゅ工房のあらかきです(^^)
今日は、久しぶりのシーサー研究室から
勉強が遅れております。
それよりも釉薬の勉強に夢中になってしまいまして、次回は重ね塗りに挑戦です。
釉薬の世界は、科学です。
釉薬は配合と水の量でいくらでも変化します。
またこれに加えて
素地
そして焼成温度
時間
さらに大きく分けると酸化焼成なのか還元焼成なのかでも大きくかわります。
ただ
この辺りは、科学なのでデータ化すると再現可能になっていきます。
・・・。
ただですよ・・・
釉薬の妙は
「厚み」にあります。
厚みが測定できないのです!!!
レーザーで厚みが測定できると更に再現可能領域が増えるのですが
今のところ
厚みを測定できないでいます。
ただ!今朝調べてみると車の塗装を計測する機械があるようです!
うーーん、でも感覚的には計測しても釉薬の再現可能領域は狭いように感じます。
厚み=感覚
なのだと思います。
という感じで釉薬にハマっておりますがっ!
今日は以前から取り組んでいたインドのアショーカ王について
まだ読破できずにおります。
というのも
アショーカ王が考えた鉄柱に設置されたライオン像を調べるつもりが
インド思想と仏教がかなりの専門領域で書かれていまして眠くなるのです・・・。

半分まで読み進めましたが、獅子像に関しての文章一向に出ず・・・。
という事でここまで読んで途中報告いたします!
ずばり!
アショーカ王と僕の考えは一致しております!
・・・。
アショーカ王、インドのマウリヤ朝を代表する君主は、
カリンガ戦争の悲劇を経て、戦争の無意味さを悟りました。
彼は人生の最後の最後まで仏教普及に尽くしていきます。
そんな彼の人生の半分以上は権力闘争と戦争です・・・。
その彼が仏教の普及を促す石柱を全インドに建立し、その獅子像は平和の力強いシンボルとなっていくのです。


この石柱には、教えのようなものが刻まれているとされていて、
道理的な明確な事から法律的なことまで書かれていると言われていますが、
私が面白いなと感じたのは「他の宗教を非難することを戒めている」部分です。
このあたりが
中国で道教と仏教が争わずに導入され、日本においては神仏習合として争わず取り入れられた根源?
あるいはアジアという地域性がもたらす「平和」の精神なのかもしれません。
アショーカ王が紀元前270年にはこのような事を記した柱がインド各地に建てられるわけですから
インド思想
やっぱり改めて勉強したいなと思いました。
またその年代が
紀元前270年ですよ・・・。
日本では神武天皇が出てくるあたりですから
いかにインドの歴史が古いのかが分かります。
がっ
専門書は眠くなります。
ぜひマンガで読破シリーズをお願いしたい所です。
・・・。
※マンガで読破シリーズは本当に助かります。君主論や武士道など30分で読み切ります・・・。
さて!
そのアショーカ王が建立した獅子像ですが、
沖縄では、この獅子像がシーサーとして進化し、家や村を守る神聖な存在となりました。
アショーカ王の治世で仏教が広まると、獅子像がその重要な象徴としてアジア各地に伝わっていきます。
この獅子像文化は、シルクロードを通じて中国へと伝えられ
その後、中国から東アジアのさまざまな地域に広がっていきました。
沖縄への伝来は、14世紀から15世紀にかけての琉球王国の時代に、中国や東南アジアとの交易が活発化したことが背景にあります。
交易を通じて、文化や芸術、宗教的な影響が沖縄にもたらされ、中国の獅子像が沖縄でシーサーとして受け入れられ、
地元の風土や信仰に合わせて独自に進化してきたと私は考えています。
シーサーは沖縄の文化と精神生活に深く根ざし、魔除けとしてその役割を全うしていますが、
その本質は、アショーカ王と一緒で「平和」だと思うのです。
アショーカ王の石柱の獅子像と沖縄のシーサーは、平和と守護の普遍的な価値を共有しています。
アショーカ王の統治は、権力の追求から社会改革と平和の促進へと変貌しました。
彼は仏教の教えを受け入れ、それを広めることで、倫理的で公正な社会の実現を目指しました。
彼の政策は、公共事業の推進、社会福祉の向上、そして全ての生命への深い尊重を含んでいました。
一方の沖縄におけるシーサーの普及は、初期では地域の守護と福祉の願いを反映しています。
明治以降にシーサーは、沖縄で急速に「魔よけ」として一般宅へ普及していきますが
それ以前は、村落獅子に見られるように
地域の安定と繁栄を願う沖縄の人々の心を映していると私は考えています。
また一般宅へ普及したシーサーですが、これもやはり
本質は「平和」だと思うのです。
家庭の平和を守る守護神
いつの日か、シーサーが守護神としての役割を超え、平和のシンボルとして未来永劫にわたり人々に影響を与えることを私は強く願います。
ブログのタイトルは「世界中の武器をシーサーに」です。
もちろん
この本からまんま頂戴しましたが、

しかし、私は大日本帝国陸軍第37師団に属してた祖父を心から尊敬しています。
どんどん
アショーカ王と心が一つになっていくのを感じます(^^)
さんざん戦争にあけくれたアショーカ王が最後たどり着いたのは「平和」でした。
父も政治闘争の果てに今
こんなに優しい顔のシーサーを制作しています。

戦ってきた人が平和を願うのは至極当たり前のように思います。
いや平和の為に戦っていたのだとすると「平和」と「戦争」はコインの裏表のようです。
アショーカ王の理念とシーサーの文化は、時間を超えて互いに共鳴し、
平和と調和の普遍的なメッセージを伝えていると思います。
そして真の平和とは
「平和」という言葉もなくなる世界だと思うのです。
沖縄だからこそ。
祖父と父をもつ僕だからこそ
お届け出来る事があると確信してこの仕事を全うしたいと思います。
改めて
シーサー研究に熱が入りましたー!!!
村落獅子も更新遅れています!
ちばっていきます!
この地で生まれる守護神
たくさん世界にお届けしたいと思います。
まだまだシーサー足りません!!!
今朝も窯で父の作品を焼成しています。
どんどん焼いていきます。
アショーカ王が建立したの数千にものぼると言われいます。
シーサーは世界中の人にお届けしたいので
残り!
70億対!!!
父には長生きしてもらわんといけません(^^)
という事です!
(^^;
今日も最後までお読みいただき心から感謝を申し上げます。
紀元前から今日まで人類は平和を希求し続けてきました。
この想いをシーサーに託していきたいと思いますので
引き続き
応援のほど
ゆたさるぐぅとぅ
うにげーさびら。
しまんちゅ工房のあらかきです(^^)
今日は、久しぶりのシーサー研究室から
勉強が遅れております。
それよりも釉薬の勉強に夢中になってしまいまして、次回は重ね塗りに挑戦です。
釉薬の世界は、科学です。
釉薬は配合と水の量でいくらでも変化します。
またこれに加えて
素地
そして焼成温度
時間
さらに大きく分けると酸化焼成なのか還元焼成なのかでも大きくかわります。
ただ
この辺りは、科学なのでデータ化すると再現可能になっていきます。
・・・。
ただですよ・・・
釉薬の妙は
「厚み」にあります。
厚みが測定できないのです!!!
レーザーで厚みが測定できると更に再現可能領域が増えるのですが
今のところ
厚みを測定できないでいます。
ただ!今朝調べてみると車の塗装を計測する機械があるようです!
うーーん、でも感覚的には計測しても釉薬の再現可能領域は狭いように感じます。
厚み=感覚
なのだと思います。
という感じで釉薬にハマっておりますがっ!
今日は以前から取り組んでいたインドのアショーカ王について
まだ読破できずにおります。
というのも
アショーカ王が考えた鉄柱に設置されたライオン像を調べるつもりが
インド思想と仏教がかなりの専門領域で書かれていまして眠くなるのです・・・。

半分まで読み進めましたが、獅子像に関しての文章一向に出ず・・・。
という事でここまで読んで途中報告いたします!
ずばり!
アショーカ王と僕の考えは一致しております!
・・・。
アショーカ王、インドのマウリヤ朝を代表する君主は、
カリンガ戦争の悲劇を経て、戦争の無意味さを悟りました。
彼は人生の最後の最後まで仏教普及に尽くしていきます。
そんな彼の人生の半分以上は権力闘争と戦争です・・・。
その彼が仏教の普及を促す石柱を全インドに建立し、その獅子像は平和の力強いシンボルとなっていくのです。


この石柱には、教えのようなものが刻まれているとされていて、
道理的な明確な事から法律的なことまで書かれていると言われていますが、
私が面白いなと感じたのは「他の宗教を非難することを戒めている」部分です。
このあたりが
中国で道教と仏教が争わずに導入され、日本においては神仏習合として争わず取り入れられた根源?
あるいはアジアという地域性がもたらす「平和」の精神なのかもしれません。
アショーカ王が紀元前270年にはこのような事を記した柱がインド各地に建てられるわけですから
インド思想
やっぱり改めて勉強したいなと思いました。
またその年代が
紀元前270年ですよ・・・。
日本では神武天皇が出てくるあたりですから
いかにインドの歴史が古いのかが分かります。
がっ
専門書は眠くなります。
ぜひマンガで読破シリーズをお願いしたい所です。
・・・。
※マンガで読破シリーズは本当に助かります。君主論や武士道など30分で読み切ります・・・。
さて!
そのアショーカ王が建立した獅子像ですが、
沖縄では、この獅子像がシーサーとして進化し、家や村を守る神聖な存在となりました。
アショーカ王の治世で仏教が広まると、獅子像がその重要な象徴としてアジア各地に伝わっていきます。
この獅子像文化は、シルクロードを通じて中国へと伝えられ
その後、中国から東アジアのさまざまな地域に広がっていきました。
沖縄への伝来は、14世紀から15世紀にかけての琉球王国の時代に、中国や東南アジアとの交易が活発化したことが背景にあります。
交易を通じて、文化や芸術、宗教的な影響が沖縄にもたらされ、中国の獅子像が沖縄でシーサーとして受け入れられ、
地元の風土や信仰に合わせて独自に進化してきたと私は考えています。
シーサーは沖縄の文化と精神生活に深く根ざし、魔除けとしてその役割を全うしていますが、
その本質は、アショーカ王と一緒で「平和」だと思うのです。
アショーカ王の石柱の獅子像と沖縄のシーサーは、平和と守護の普遍的な価値を共有しています。
アショーカ王の統治は、権力の追求から社会改革と平和の促進へと変貌しました。
彼は仏教の教えを受け入れ、それを広めることで、倫理的で公正な社会の実現を目指しました。
彼の政策は、公共事業の推進、社会福祉の向上、そして全ての生命への深い尊重を含んでいました。
一方の沖縄におけるシーサーの普及は、初期では地域の守護と福祉の願いを反映しています。
明治以降にシーサーは、沖縄で急速に「魔よけ」として一般宅へ普及していきますが
それ以前は、村落獅子に見られるように
地域の安定と繁栄を願う沖縄の人々の心を映していると私は考えています。
また一般宅へ普及したシーサーですが、これもやはり
本質は「平和」だと思うのです。
家庭の平和を守る守護神
いつの日か、シーサーが守護神としての役割を超え、平和のシンボルとして未来永劫にわたり人々に影響を与えることを私は強く願います。
ブログのタイトルは「世界中の武器をシーサーに」です。
もちろん
この本からまんま頂戴しましたが、

しかし、私は大日本帝国陸軍第37師団に属してた祖父を心から尊敬しています。
どんどん
アショーカ王と心が一つになっていくのを感じます(^^)
さんざん戦争にあけくれたアショーカ王が最後たどり着いたのは「平和」でした。
父も政治闘争の果てに今
こんなに優しい顔のシーサーを制作しています。

戦ってきた人が平和を願うのは至極当たり前のように思います。
いや平和の為に戦っていたのだとすると「平和」と「戦争」はコインの裏表のようです。
アショーカ王の理念とシーサーの文化は、時間を超えて互いに共鳴し、
平和と調和の普遍的なメッセージを伝えていると思います。
そして真の平和とは
「平和」という言葉もなくなる世界だと思うのです。
沖縄だからこそ。
祖父と父をもつ僕だからこそ
お届け出来る事があると確信してこの仕事を全うしたいと思います。
改めて
シーサー研究に熱が入りましたー!!!
村落獅子も更新遅れています!
ちばっていきます!
この地で生まれる守護神
たくさん世界にお届けしたいと思います。
まだまだシーサー足りません!!!
今朝も窯で父の作品を焼成しています。
どんどん焼いていきます。
アショーカ王が建立したの数千にものぼると言われいます。
シーサーは世界中の人にお届けしたいので
残り!
70億対!!!
父には長生きしてもらわんといけません(^^)
という事です!
(^^;
今日も最後までお読みいただき心から感謝を申し上げます。
紀元前から今日まで人類は平和を希求し続けてきました。
この想いをシーサーに託していきたいと思いますので
引き続き
応援のほど
ゆたさるぐぅとぅ
うにげーさびら。
この記事へのコメント
お久しぶりです。
獅子像の石柱、初めて見ました。
平和を願ってこのようなものを作っていたんですね。
オベリスクに通じるものがあるなと思いました。
お父様の作られた優しい顔のシーサー、いい表情してます。
これからもシーサー作り頑張ってください。
獅子像の石柱、初めて見ました。
平和を願ってこのようなものを作っていたんですね。
オベリスクに通じるものがあるなと思いました。
お父様の作られた優しい顔のシーサー、いい表情してます。
これからもシーサー作り頑張ってください。
Posted by 瀬長修
at 2024年03月25日 17:01

おー!ご無沙汰しております(^^)
コメント嬉しいです!
ありがとうございます!
これからも見てやってください~~(^^)
ちばっていきますよ~♪
コメント嬉しいです!
ありがとうございます!
これからも見てやってください~~(^^)
ちばっていきますよ~♪
Posted by しまんちゅ工房あらかき
at 2024年03月26日 07:20
