玉城字糸数にある村落獅子

はいさーい(^^)

しまんちゅ工房のあらかきです(^^)

皆様におかれましては、
素敵な週末を過ごされている事かと存じます。

当店は本日も元気に運営しておりますので、
お近くにお越しの際はぜひぜひご来店くださいませ(^^)


さて!

本日は、面シーサーを設置したあと、帰宅途中で見つけた村落獅子の紹介です。

沖縄では村落獅子と呼ばれる琉球石灰岩で製作された獅子像があります。

村を護るために制作された獅子は、沖縄県内各地にありまして姿かたちも様々で非常に勉強になります。

また
琉球石灰岩は風化していきますので
人が制作して自然がかたどる姿にとても感銘を受けます。


今でも大切にされている村落獅子は沖縄のシーサーの原点でもあります。

今回紹介するのは、たまたま道中で見つけたのですが
いつもなら見落とす獅子もシーサー設置後はなぜか見落とさないという・・・。

シーサー設置あとは、
道中で御嶽などがあると
いつも立ち止まって手を合わせていきます。


どんどん信仰心が芽生えてきました(^^)


僕は御嶽がとても大好きです。

なぜなら
なんともいえない優しい気持ちになるからです。

一方でシーサーに対する誇りもあります。


なので当店が取り扱うシーサーを通じて怒る事もあります。
でも
その怒りは「大切」にしている証でもあるので、人にぶつけないように
自分の中にしまって大切にしていこうと思います。


先日、お客様にその怒りをぶつけしまいました・・・。

猛省です。


お詫びしたのですが、ただこんなにも怒りが湧いてくるのは正直驚きでもありました。

それくらい
僕は当店の作品に誇りを持っている事を認識致しました。
これからは気を付けて接客したいと思います。



玉城字糸数にある村落獅子


玉城字糸数にある村落獅子



写真で見ると、堂々とした村落獅子なので見落とすわけがないですね(^^;


玉城は糸数という地域を護る村落獅子の一つです。

4体あると伺いました。

また別の機会があれば見て回りたいと思います。



玉城字糸数にある村落獅子


景色も素晴しく、井戸もあるので
大きな集落だったように思います。


村を護る村落獅子は、地域コミュニティーの象徴でもあるように感じます。

村落獅子がシンボルとして、地域を感じさせてくれる。


地域コミュニティーが失われた現代だと良く言われますが、
僕が知っている村落獅子は、いまでも地域の方が共同で清掃したり
また子供達の通学時の集合場所になっていたりします。


でもそこには「人」がいます。


村落獅子が永遠といえども
そこに暮らす人がいなくなると「獅子」を獅子として認識する人がいなくなる。

村落獅子は、地域に人がいてこそです。


最近、反出生主義という言葉を知って少し勉強したのですが唸りました。
なるほど

理解も出来るのです。

たしかにこの世界は酷い。

理性の果てが反出生なら
僕は本能のままに生きているんだなーと思いました。

食べる、眠る、
欲するままに生きていく中で身に着けてきた協調性

自由とは、不自由さの中にある気持ちの問題です。

いや、でもわかる。

僕も若い頃は、地域コミュニティーが苦手でした。

年を取ると哲学的思考がどんどん腑に落ちてくる。


大きな矛盾を抱えて今日も生きている。


ドストエフスキーは、こんな言葉を残しています。

「人間が不幸なのは、自分が幸福であることを知らないからだ。ただそれだけの理由なのだ」


人以外の動物には「幸せ」という概念はあるのでしょうか?

道端に咲いている花は誰かの為に咲いているのでしょうか?

ただただ
生きている。

人はどうしても思考してしまう生き物なので「幸せ」と「不幸せ」を比較して区別してしまいます。


でも自然界を見ていると「道徳」や「正義」あるいは法律もない事がよくわかります。

この地域にだけ特別に災害が多くあるのは、なにか意味があるのでしょうか?

その意味を考えるのは人だけです。


でも考えずにはいられない。

だから
村落獅子が生まれて、今でも大切にされています。

そして

獅子が私達に語るのは「これ以上の心配はするな」
「安心して希望を見出せ」と・・・。


村落獅子は、私たちの不安であり、希望であり、個人の願いであり、全員の想いでもあります。


しかも、世代を越えてそこに静かに佇む。

村落獅子が見守る地域でまた新しい命が生まれる。

苦悩するのは比較するからです。


もう少し本能のままに生きてみませんか?と思ったのでした。


考えるな!感じろ!

映画「燃えよドラゴン」の中でブルースリーが放ったセリフですが、
大好きな言葉です。


息を整えて思考を止めて、ただある
という事に徹底する坐禅ですが、


そこには、感じるモノものいなく、感じるなにかもなく
ただただ

命がだだ~~~~~~んと広がっています。


スピノザの汎神論を思い出します(^^)



神即自然



その自然の中に私達もいます。ありとあやゆる万物があります。
私たちも神の一部なのです。

という事を思考ではなく坐禅の時に感じているのですが、

でも、やっぱり「神即自然」という言葉がある限り、

神、自然、と私達と切り離している。

「神即自然」を説明すればするほど、分離は起きてくる。


なので、やっぱりスピノザの汎神論も理性で分かろうとすればするほど、遠ざかる。

感じろ!

名言です。

そしてそれを思考ではなく実践させる坐禅が僕は好きです。


さ~~~!!!今日も「一行三昧」の精神で目の前の事に集中して集中して我をなくしていきたいと思います(^^)


村落獅子のように愛される
「モノ」「コト」


ちばって生きたいと思います!



追伸

村落獅子が、身近にいるこの島が大好きです。

感謝。


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店舗情報

店名

しまんちゅ工房

住所

〒901-1302
沖縄県島尻郡与那原町字上与那原364−1

TEL

098-946-3035

営業時間

10:00~17:00

定休日

水曜日・木曜日

URL

https://www.shimancyu-koubou.com/seesaa.html


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